GoGokongのラクガキ帳

雑誌の感想など、日々の記録を残そうと思います

無責任と素人 雑誌の感想 文藝春秋2020年5月号(1)

専門性を嫌う組織

本誌に掲載『「狡猾なウイルス」に試されている』を自分なりにまとめてみた。

作家の橘玲が、日本のコロナウイルス対策を通して日本の官僚の問題点を指摘していた。

 

もともと日本の組織は、専門性と合理性を嫌う特徴がある。その例として、スペシャリストよりもジェネラリストが重宝される。この現状は、官僚組織も同じだ。実際、官僚は2~3年で色々な部署を異動し、場合によっては高い専門性が必要な部署がほとんど素人同然の人たちが集められることがある。

代表例が、厚生労働省だ。記事では、最近起こった厚生省の不祥事を挙げている。

  • 2019年1月の統計不正
    ➡統計作業が大変だから、全点から抽出調査に変更
  • 2018年2月の労働時間の比較調査
    裁量労働者の1日の労働時間と一般労働者の最も多く残業した日の労働時間を比較

どれもあまりにもひどく、故意に不正したというよりも、高い専門性が必要な「統計」については素人同然の人たちが、勝手に判断して起こした不祥事だと筆者は推測している。

日本のクルーズ船の対応

今回の感染症対策も高い専門性が必要となるが、同様に素人に近い人たちが現場の指揮を執っていた。

 まだ日本がコロナ感染が広まってないとき、ダイヤモンドプリウス号の対応を巡って批判が起こった。要約すると以下になる。

乗員・乗客を14日間船内に隔離し、感染者約700人、死者10名をだした。

➡船内でウイルス感染が広がった。

以下の対応を行えば、ここまでひどい結果にはならなかった。

  1. 全員検査して、陰性の人は下船させる。
  2. 1が無理なら、無症状の人は下船して日本人は2週間隔離、外国人は航空まで送ってそのまま自国へ帰ってもらう。

実際、カンボジアに停泊した別のクルーズ船では、無症状の乗客を下船・解放した。その後の確認で感染者は1名のみだった。

この時、指揮を執っていたのは文系出身の厚生副大臣だった。感染症対策については、素人だったに違いない。だから、全員船内に隔離するという場当たり的で的外れな対応を選んでしまったのか。

素人集団による弊害

筆者は、素人に近い人たちが対応しても以下にようになると述べている。

  1. 場当たり的な対応ばかりになり、状況の変化についていけない。
  2. 最初に決めたことを変えられない。
  3. 責任者の顔がはっきりしない

どれも、専門性がないために何が良いのか判断できないことが原因だ。

個人的には、2については例外もあると思う。ただし、それはセオリーから外れた行為につながる場合が多い。上で述べた「不正統計」が一例になるだろう。

3については、専門性がないので皆で何となくで物事を進めていくことで自然と責任者がはっきりしなくなるのではないか?

また筆者は1~3の結果、「無責任社会」になってしまうと主張している。

責任者不在によって責任を受けるべき範囲があいまいになってしまう。そのため、誰もが責任が追う可能性がある社会になり、全員がそれを避けようとする結果、誰も責任を取らない。この状態を無責任社会と呼んでいる。 

既に無責任社会になり始めている

上で無責任社会の前兆として「一度決められたことを変えられない」点を挙げた。

最近、オリンピックをギリギリになるまで通常開催にこだわっていた。これは「一度決められたことを変えられない」という特徴に当てはまるのかもしれない。

これからの出来事も注意深く見ていかなければならない。